2014年08月13日

「うた新聞」8月号

「引揚者のうた」という特集が組まれている。

・桜井登世子 「海ゆかば」の幻想へ
・小宮山輝 記憶の中の死者たち

という文章と、20名の「3首+コメント」が載っている。
みな、満州、中国、朝鮮、台湾などから引き揚げてきた人たちだ。

その中に、樺太から引き揚げてきた人もいる。

 真岡町、ホルムスクと名を変へてより鰊の漁は絶えて異国に
              林 宏匡
 撃沈されし泰東丸の乗船名簿をさなき児らもあまたつらなる
              林田恒浩

敗戦時、樺太には約40万人の日本人が住んでいた。
ソ連軍の攻撃によって亡くなった人だけでなく、シベリアに抑留されて亡くなった人も多い。

posted by 松村正直 at 01:03| Comment(3) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
釈迦に説法ならすみません。
松本昌夫はチェック済ですか?
Posted by 黒瀬珂瀾 at 2014年08月14日 01:58
ノーチェックでした。
『防雪林』『樺太悲歌』など、読んでみようと思います。
ありがとうございました。
Posted by 松村正直 at 2014年08月14日 07:45
釈迦に説法、というおもしろい言葉が出てきたのでちょいと書きたい。

1)仏教も現今において特に日本において葬式仏教、観光仏教になりさがってしまった。堕落というほかない。仏の教えがどっかにいってしまったように思う。
2)釈迦が教えを説きいつのまにか説法が変わってしまったのだ。いわゆる、釈迦に悪説法である。
3)この意味はみなさんご存知なのだが、大切なことはシャカたる人物が本当に知っているかということだ(ことわざの中で)。
4)禅宗においてわかっているということは頭の中でなく行動をとうしたからだの中である。娑婆においてこの人間がなんと多いことか。それゆえに聖賢は何度でもいわねばならないのだ。松村君はいずれか、黒瀬氏はそのようなことはないか。
5)なにもわかってないのにシャカとしたいのは指導者となったときにボロが出てきて結社を傾けさせることである。
6)偉そうに歌論をひっさげる女がいるのだがあやしい歌論で歌もあやしくわれわれは真の釈迦にならねばならない。
7)しかしながら猿を君子として生きよというのは凡が非凡と生きよというにひとしい。馬鹿は馬鹿なりにいきたらいいのだ。良寛和尚もこのようにおっしゃるだろう。
7)わたしが安居(あんご)した永平寺には200ほどの僧がいるが僧のほんものはひとにぎりなのだ。ほんものの僧がわからなくてはこの釈迦に説教はわからないだろうから知ったかぶりで口にせぬことだ、諸君。
8)若いときはなにかと失敗する。失敗しながらまともになる。年寄りがうまいことをいっているではないか、若いときの恥は買ってでもせよと。
Posted by 良秀和尚 at 2014年08月16日 13:26
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