2014年07月27日

『青昏抄』の続き

阪神淡路大震災で兄を亡くしたことは、この歌集に静かに影を落としている。

夕暮れの雲の映れる机には兄の写真が伏せられたまま
               楠誓英『青昏抄』

部屋の机に置かれている兄の写真。おそらく快活な笑顔の写真なのだろう。毎日見るのが忍びなくて、伏せたままにしてしまう。そこに、かえって亡き人を思う気持ちの深さが表われている。

ひそまりて在り経(ふ)る妻がいつよりか亡き子の写真裏返しおく
               高安国世『Vorfruhling』

楠の歌を読んで思い出したのは、高安国世のこの一首。3歳の長男を疫痢で亡くした後の歌である。子を亡くした妻の心の痛みとそれを思いやる作者の思いがよく伝わってくる。

楠の歌に出てくる写真を伏せたのも、本人なのか、あるいは母親や父親なのか。それによっても、歌の印象が変ってくる気がする。

posted by 松村正直 at 08:13| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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