神戸から別府まで、甲南高校の生徒たちは船に乗っている。
高安国世の旅行記には
さて紫丸が大阪から入港し乗込むころ陸続として不参加者の見送り群来る。
とある。彼らが大阪からではなく神戸から乗船したのは、甲南高校が大阪よりも神戸に近いからだろう。大阪から神戸を経由して別府へ向う航路であったことがわかる。
この阪神―別府航路は1912年に開かれて以来、実に100年以上にわたる歴史を持っている。高安らが乗った昭和8年時点では、紫丸、屋嶋丸、紅丸(2代目)、緑丸、薫丸の5隻が就航し、昼夜両便、毎日運航という体制であった。
以前、私も月に一回、大分から京都へ来るのに、この航路(厳密には「大阪―別府」ではなく「神戸―西大分」航路)を使っていたことがある。金曜日の仕事を終えてそのまま西大分港から船に乗り、土曜日の朝に神戸港着。午後から京都の歌会に出て一泊し、日曜日の夕方の船で大分へと帰り、月曜日の朝はそのまま仕事へと行っていた。
君の住む町の夜明けへ十二時間かけてフェリーで運ばれて行く 『駅へ』
穏やかな夜の瀬戸内海を行く灯ともる所は人が住むなり
海上を進むフェリーの浴室の湯船に深く身体は揺れる