極言すれば、近藤の文学作品に、高安からの文学的影響は皆無なのです。高安には残酷ですが、こと文学面においては、高安が近藤を思っているほどには、近藤は高安を思っていない、という感じがします。
まさに「残酷」な話だが、その通りと言うしかない。ある種の片思いのようなものである。
けれども、大辻さんも書いている通り、その後、高安は近藤の影響下から抜け出して、自分の作品世界を深めていくことになる。
高安は自身の歩みを振り返って記した「私の短歌作法」(1978年初出、『短歌への希求』所収)の中で、かつて近藤が絶賛した「誠実の声」の歌について
誠実の声―それは当時の文学全体にみなぎる基本的な要素であったろう。私の歌も、歌の巧拙よりも重大な、なくてならぬものとして誠実を追求していた。
と書く。しかし、高安はそこにとどまりはしなかった。高安は変化を求めたのだ。
(高度成長経済の時代に入るとともに)何がまちがっていて何が望ましいことかを、ただ誠実だけでもって弁別しうたい上げることがむつかしくなる。
短歌も一面的な真実を誠実の声でもってうたっているわけにはいかなくなった。今私たちが感じ取るものは、そう簡単に一義的に解することができず、それを表現するには言葉のいろんな機能を十全に活用しなければならないのである。
ここには、近藤とは異なる道を選んだ高安の、自らの表現に対する自信が溢れている。だから読んでいて清々しい。
(大辻さんが講演録から「オフレコ」の部分を削除しなかったのも、きっと自分の歌に対する自信の表れなのだろう。)