2014年06月22日

読売新聞「四季」

今日の読売新聞朝刊の長谷川櫂さんの詩歌コラム「四季」に、
『午前3時を過ぎて』の一首を取り上げていただきました。

 地下鉄の車両に乗りて現れるおのれの顔と向き合いており

ありがとうございます。


posted by 松村正直 at 06:47| Comment(3) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
私は俳句のセンスないので、聞き流していただけると幸いです。

恐縮ですが、ものすごく野暮な質問します。
たとえば上の句について、どのようなきっかけでお作りになられたのでしょうか?

私はこの句を詠み、昔のことなど思い出しました。
自分が中学生だった頃、地下鉄の窓に映った自分の顔を見、
(童顔だと思っていたのですが)額にすでに皺まで刻まれ
醜いと言えるほど老けて見えたことに驚いたときなどのことを。

詩的(な句)だとも思いましたし、失礼ですが形骸化した表現とも思いました。

人が様々な思いを投影できるハコとしてなのか、
または、ある個人的な体験を詩的に詠みあげたものなのか、
もっと包括的な表現なのか。

文学のセンスはないのですが、色々考えました。
また失礼な言い方ですが、気が向けば『午前3時を過ぎて』購入し
読んでみようと思っています。


では。
Posted by 卓 at 2014年06月24日 16:17
2度書き込みし、すみません。
上の書きこみですが、
「俳句」ではなく「短歌」、「歌」ですね。

初歩的な書き込みのミスでした。
失礼しました。
Posted by 卓 at 2014年06月24日 16:21
こんにちは。

地下鉄の窓に映る自分の顔を見るのは苦手なのですね。鏡と違ってその場を去ることができないですし、目を逸らすと言っても他に見るものもないですから。

「窓に映る」と言わずに表現したところに、ちょっとした工夫があります。でも、別に詩的でも何でもなくごくごく普通の歌です。

個人的な体験をもとに詠んだものですが、そこから何を感じるか、どう感じるかは、もう読む人の自由です。

Posted by 松村正直 at 2014年06月25日 13:54
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