一人はドイツ文学の成瀬無極。
もう一人は、土屋文明である。
当時62歳の高安は、文明について「ごぶさたはしていても、つねに私の心のそばに先生はおられる」と書いている。晩年に至るまで、文明を師と仰ぐ気持ちは揺るぐことがなかったのだろう。
歌会好きの高安らしい、こんな言葉もある。
私は半生を通じて歌会をたのしんできた。たのしみといってもただの娯楽でも休養でもなく、心の通い合う人々との真剣勝負の場としてである。忌憚ない批評をし合って、そのあとなごやかに話し合うという人生で稀な幸福を、私は先生を中心とする歌会で学び、今では私を中心とするささやかな歌会で味わっている。
こういう真面目で、ちょっと青臭いところが、いかにも高安さんという感じがする。