2014年06月04日

「望星」1976年4月号

高安国世の「二人の師のこと」という文章が載っている。
一人はドイツ文学の成瀬無極。
もう一人は、土屋文明である。

当時62歳の高安は、文明について「ごぶさたはしていても、つねに私の心のそばに先生はおられる」と書いている。晩年に至るまで、文明を師と仰ぐ気持ちは揺るぐことがなかったのだろう。

歌会好きの高安らしい、こんな言葉もある。

私は半生を通じて歌会をたのしんできた。たのしみといってもただの娯楽でも休養でもなく、心の通い合う人々との真剣勝負の場としてである。忌憚ない批評をし合って、そのあとなごやかに話し合うという人生で稀な幸福を、私は先生を中心とする歌会で学び、今では私を中心とするささやかな歌会で味わっている。

こういう真面目で、ちょっと青臭いところが、いかにも高安さんという感じがする。


posted by 松村正直 at 00:04| Comment(0) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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