生き死にのことにふるるなかたわらに岡部桂一郎全歌集ある
雨よりも雪に感情あるごとくわれに向いて雪ふりやまず
そら豆の一つ一つをむくときにわが前に立つ若き日の母
遊女らの小さき墓が湖に向き崩れて並ぶ月照らしゆく
あしたより雨ふりつづく森のみゆ終るいのちをわれは疑う
いとけなきおみなごの尻に似たる枇杷しずかな雨の降りはじめたり
ゆうらりと近づくボンベさびしげにややかたむきてこちらを向けり
逝く秋の空ふかくして今生の梨より垂るる雫のひかり
ナイル河岸(きし)に摘みしというミント繁れる鉢のそばに寝ころぶ
千歳より来りたるなり灯の下にある馬鈴薯は淡き影もつ
2012年に亡くなった岡部桂一郎の遺歌集。
歌集未収録の既発表作品および未発表作品を編集して、3部構成としている。
全体に力の抜け具合が良くて、味わいのある歌が多い。
計らいをあまり感じさせないところがいいのだろう。
4首目には「野付半島」という注が付いている。
道東に細長く伸びたこの半島には、江戸時代後期にキラクという集落があったと伝えられている。そこは漁業や交易で栄えて、遊郭もあったらしい。以前、何かで読んで印象に残っている話だが、歴史と言うよりは伝説に近いものだと思っていた。
岡部桂一郎は野付半島に行ったことがあるのだろうか。
この「遊女らの小さき墓」はいかにも実景のように詠われているが、あるいは想像の光景なのかもしれない。
歌集のあとがきは、妻の岡部由紀子が書いている。岡部由紀子さんについては、角川「短歌」5月号の歌壇時評で触れたところであった。この歌集にも「あの坂を登って由紀子が帰るなり枯れたすすきが揺れいるところ」という妻を詠んだ一首が入っている。
2014年4月3日、青磁社、2000円。
いとけなき、とはおさない・あどけない、の意。そんな幼女のお尻に似た枇杷とはユニークな目。しずかな雨とは霧雨のようなものであろうか。田舎の寂とした景で魅力的な歌。
遊女らの小さき墓が湖に向き崩れて並ぶ月照らしゆく 岡部佳一郎
この歌は実景だと思います。わが天橋立を見る成相寺の墓には宮津の名もなき新浜女郎の墓があります。なんとも味のある歌です。