シベリア抑留と言えば、窪田空穂が次男の茂二郎を詠んだ長歌「捕虜の死」(歌集『冬木原』所収)が有名であるが、ここでは兄の窪田章一郎の歌を見てみよう。歌集『ちまたの響き』から、まずは復員を待っている時期の歌。
ひそやかに兵の復員つづく故わが弟(おとと)待つ今日は明日はと
一等兵窪田茂二郎いづこなりや戦(いくさ)敗れて行方知らずも
その後、茂二郎がシベリアで亡くなったことが伝えられる。
弟の臨終(いまは)みとりし若き友も還り来る船の中に果てたり
シベリヤの捕虜の臨終(いまは)は想像をこえて知り得ずしらざるがよき
「弟は終戦直前に北支から満洲に移駐し、南新京で八月十五日を迎へた。十月ソ連に移され、翌年二月十日病死した。場所はバイカル湖の北、チェレンホーボという、流刑囚のおくられる炭鉱であつた。戦友の一人が復員して、はじめて知ることの出来たのは、二十二年五月であつた。」
戦争の終るに命生きたりし弟を救ふすべなかりしか
発疹チフス数千(すせん)が病みてあへなくも死にし一人と数へられけむ
先の「シベリア抑留死亡者名簿」を検索すると、窪田茂二郎の名前が見つかる。
http://yokuryu.huu.cc/meiboa-n-07-2.html
これによると、茂二郎は1918年生まれで、1946年2月4日にイルクーツク州の第31地区(チェレンホーヴォ)で亡くなり、チェレンホーヴォの東13キロにある第8支部フラムツォフカ村に埋葬されていることがわかる。
空穂や章一郎に伝えられた命日は2月10日であったが、おそらく名簿に記録された2月4日の方が正しいのだろう。
色々なことを考えさせられました。 「シベリア抑留者」
とひとくくりに言っても、一人一人の家族ある人生なのだな、と短歌を拝見していて感じました。
絵で知られている方では、香月泰男さん、シベリアではないですが野見山暁治さん、水木しげるさん
など、エッセイなどでも召集から帰還するまで
を表現されていて、作品が残ることの大切さを感じます。
と同時に、とても表現出来なくて、亡くなっていった方も多いのだろうな、と思います。
この名簿を作成した村山さんは、自身もシベリア抑留を体験された方で、70歳からこのデータベースの作成を始めたそうです。