残念ながら落札できなかったのだが(落札価格は8000円)、葉書の文面はネットで読むことができる。
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/177756566
【昭和48年1月2日】
賀正
かくひそかに明日に満ち行くものは聞け冬芽のこずえすでにうるむ空
芳美
元旦
年賀状である。
書かれている短歌は、歌集『アカンサス月光』に「冬芽 ― 一九七三年新年詠 ―」と題して収められているものだ。
【昭和48年11月30日】
「高安やす子」資料をお送りいただき、何とか原稿をまとめました。御礼申上げます。
わたしは新米の教師となりましたが、学生問題で少々閉口しています。
勉強のつもりと、精を出してはいますが。 十一月二十八日
近藤が「高安やす子」について、何か文章を書いたのだろう。あるいはアララギの女流歌人について、というような内容かもしれない。詳細はまだわからない。
この年、近藤は清水建設を退職して、4月から神奈川大学工学部建築科の教授となっている。「新米の教師」は、それを指している。
【昭和?年7月18日】
カフカの訳書拝受。
御礼申上げます。大変なことと察します。年のせいか、いろいろめんどうになりました。早く歌だけ作る生活に入りたい思いしきりです。 七月十七日
消印が読めないのだが、おそらく昭和46年のもの。
葉書の郵便料金が7円であったのは、昭和41年7月〜47年1月まで(その後、10円に値上げ)。その間に、高安が刊行したカフカの訳書は
・『変身・判決・断食芸人 ほか2篇』 講談社文庫 昭和46年7月
・『変身・判決ほか』 講談社、世界文学ライブラリー24 昭和46年10月
の2点である。葉書には7月の日付があるので、高安から近藤に贈られたのは、おそらく講談社文庫の一冊であると思われる。
「早く歌だけ作る生活に入りたい」という思いが、翌々年の清水建設退職につながったのだろうか。