蟻を飼う牛乳ビンに少年は言葉なき生(せい)見つめておれり
責任校了のむらさきの印おす夜更け編集室にわれひとりなる
少しずつ遅れの捗(すす)む腕時計はめて向かえりビルという箱へ
霜の夜の卓のikra(イクラ)をかむわれに逝きし者らの翳が横切りぬ
団栗の独楽ころがせば陽の底に昨夜(きぞ)の瞋(いか)りはほそき炎(ひ)となる
筏師の川面をたたく竿ひかり縞なし春の潮みちくる
秋である。やさしさだけがほしくなりロシア紅茶にジャムを沈める
共食いでザリガニ釣りしあの夏の爆弾池はいまもゆうやけ
グランドのサッカーの声遠くある考古学館はしんとして夏
ミドリガメ、金魚、エビガニ、死のいくつわが家の樹々を春に太らす
先月急逝した作者の第1歌集。
元の歌集は1984年に雁書館から刊行されたもの。
1978年の「かりん」創刊に参加して作り始めた歌のなかから、305首を収めている。
40歳という比較的遅い年齢での第1歌集であり、家族の歌、仕事の歌など、既に落ち着いた社会人としての歌が中心となっている。
1首目の「少年」は息子だろう。「言葉なき生」は蟻のことであるが、それを見つめる少年の寡黙さも感じさせる。
3首目は「遅れの捗(すす)む」が面白い。日に日に遅れが広がっていくのだ。それが慌ただしい日々を過ごす作者の姿とも重なってくる。
7首目は「秋である。」という初句が実に印象的。まるで短編小説の一行目のようだ。
8首目の「爆弾池」は戦時中に落とされた爆弾によってできた穴に水が溜まったものだろう。1944年生まれの作者の原風景を見る思いがする。
*4首目の「ikra」が文庫では「ikura」となっているが、誤植であろう。
2013年3月30日、現代短歌社第1歌集文庫、700円。