茂吉の『赤光』に使われている「狂・癲」といった言葉(狂者、狂人、狂院、瘋癲院、瘋癲学など)について、多くの資料に当りながら詳細に考察している。この「やさしい鮫日記」にも言及していただいた。
黒瀬はまず、茂吉の精神病学における師であった呉秀三が、精神病のイメージの改善に取り組み、「狂・癲」といった言葉を除こうと努力したことや、茂吉も精神病医として当然そうした状況を知っていたことを明らかにする。それにも関わらず茂吉は歌の中でそれらの言葉を用いた。その理由について黒瀬は
これを≪茂吉の性格、個性≫と片づけるのは容易い。だが、一つ推測しておきたいのは、茂吉は一般社会での表現と、歌の表現は別個のものという意識がどこかにあったのではないか、という点である。そうだとすると、やはり茂吉には「狂・癲」の語を意識して用いたという側面はあるかもしれない。
と指摘する。このあたり、茂吉の作歌意識に触れてくる部分で、非常に興味深い。さらに掘り下げていくと、いろいろと新しいことが見えてくる気がする。