山田が訪れた当時のソビエトは、まさにロシア民謡という基礎の上に新たな「国民音楽」が作り上げられている理想的なモデルのように山田には思えたのです。
とあって、「創作者は民衆であり、作曲家は編曲者に過ぎない」という作曲家グリンカ(1804−1857)の言葉が引かれている。
また、戦後の「うたごえ運動」の代表的な指導者であった井上頼豊について、次のように書かれている。
要するに国民音楽の重要なポイントは、日本の民衆が培ってきた音楽を土台にしてそれを高い芸術性をもったものに作り上げ、それを大衆に還元することだというのです。井上は、(…)このような「国民音楽」の最もお手本となる例としてグリンカに始まるロシア音楽の系譜に言及するのです。
これらに出てくる「グリンカ」は、実は高安国世の歌にも詠まれている。
グリンカ
ありありと高貴にして孤独なるもの民衆を愛し民衆の中より歌ふ
高安国世『真実』
こうした流れの中で読んでみると、この歌の「民衆を愛し民衆の中より」の持つニュアンスもわかってくる。やはり、戦後という時代を濃厚にまとった一首なのだ。