食料を現地調達するサバイバル登山で知られる著者が、近代登山の紀行文や歴史的な文献に記された先人の足跡をたどった旅の記録。全7編を収録。
単に足跡をたどるだけではなく、できるだけ当時の装備で、現代的な装備を用いることなく旅するところに大きな特徴がある。著者があえて不便で困難な方法を取るのには理由がある。
登山とは、あるがままの大自然に自分から進入していき、そのままの環境に身をさらしたうえで、目標の山に登り、帰ってくることだ。自分の力ではできないことを、自らを高めることなしに、テクノロジーで解決してしまったらそれは体験ではない。
こうした考えには賛否あるだろうし、どこまではOKで、どこからがダメかという線引きも難しい。でも、著者のこうした姿勢は何とも魅力的だ。
穂高は昔と変わらない。しかし、今の穂高に昔の大きさはない気がした。われわれはいろいろなものを手に入れて、代わりにスケールを失ったのだ。そのわれわれが失ったスケールのなかに、ウェンストンも嘉門次も生きていた。
山頂はただ単純に登った者を肯定するのだ。それが自分なりの特殊な能力を出した結果ならば、なおさらである。
自らの身体を使って深められた思索には、確かな説得力がある。
こうした言葉の持つ力こそが、この人の一番の魅力なのかもしれない。
2014年1月1日発行、新潮文庫、630円。