歌集『桜森』を取り上げているのだが、気になる箇所があった。
河野は、昭和五十二年の七月に高校時代からの親友であった河野里子が自死するという出来事に会う。
この「高校時代から」というのは間違いだと思う。
二人が出会ったのは京都女子大学でのことだ。
四十一年に京都女子大に入りました。先日ダンボールの中から、女子大の入学関係書類が出てきてびっくりしました。受験番号が一二四八七番。そして、河野里子さんに会ったんです。 「歌壇」2007年9月号
(京都女子大の)旧校舎のときは階段教室だったんですよ。下のほうに教授がいて。すり鉢の底で教授が講義をいたしますでしょう。窓の外にキイチゴの花が咲いたりして。その階段教室でとにかく一番はじめに見たときから、この人が好き、と思ったんです。 『シリーズ牧水賞の歌人たち 河野裕子』
こうした河野さん自身の発言からも、初めての出会いが大学に入ってからだったことは明らかだろう。
解った様なことは言えませんが
とにかく、裕子さんから何度も「里子さんがいい里子さんはほんもの」
と繰り返し聞いていたので、親近感のようなものがあります。
「里子さんはね、横にいて何にもしゃべらなくても、全然疲れないひとやった」
「一人でいる時に、友達になってと言ったら、うんと言ってくれて、嬉しくて
それからずっと里子さんに着いて回ってたんよ」
など、熱がこもっていて、沈黙も多いトーン
でした。
聞かれたり読まれた方も多いと思いますが。
胸の奥にしまってある大事な思い出のような。
と言っていました。あんまり分析したりしても、仕方ないことですので
そのまま聞いていました。
8年ほど前「誰か、作る時に参考にするひとはいるの?」
「いない、でも永井陽子さんはええなあ」と、
宅急便ですぐに、分厚い全集が送られて来ました。
生前もらった一つのものとなりました。
命日なんですね。
しばらく品切になっていましたが、また再版されたようです。
河野さんから送られてきたとのこと、貴重なエピソードだと思います。