凍港や舊露の街はありとのみ
から採られている。
この句の舞台は、樺太南部の港町、大泊(コルサコフ)である。明治34年に京都で生まれた誓子は、明治45年に樺太日日新聞社の社長であった祖父の住む樺太へと渡った。そして、大正6年に大泊中学から京都府立一中に転校するまでの約5年間を樺太で暮らしている。
句集『凍港』には、こうした樺太時代の思い出を詠んだ句がいくつもある。
犬橇(のそ)かへる雪解の道の夕凝りに
船客に四顧の氷原街見えず
氷海やはるか一聯迎ひ橇
唐太の天ぞ垂れたり鰊群來
橇行や氷下魚の穴に海溢る
1句目の「犬橇(のそ)」は樺太犬が曳く橇のこと。
4句目の「唐太」は樺太、5句目の「氷下魚」は「こまい」と言って、タラ科の魚。冬期に氷に穴を空けて釣るのである。