前回に続いて、高校3年生の清原が地元の北海道新聞「根室歌壇」に投稿した作品58首について取り上げている。
「清原清人」「山川四郎」のペンネームで投稿されたこれらの歌のことは、多分これまでどこにも書かれていない。清原日出夫について考える上で貴重な資料である。
現代歌人文庫『清原日出夫歌集』の中で、清原は
次に〈短歌〉と付き合うようになったのは、高校生になってからである。ここでの付き合いを経て、本当の意味で現代短歌に出会ったのは、(…)高安国世の〈砂の上の卓〉によってである。昭和三十三年のことだ。
と記している。
この高校生時代の短歌との「付き合い」というのが、新聞歌壇への投稿を指しているのだろう。