2013年12月21日

川村湊編 『中島敦 父から子への南洋だより』


1941年から42年にかけて、中島敦は南洋庁の国語教科書編修書記としてパラオに渡り、ポナペ島、トラック島、サイパン島など、当時日本の植民地であった南洋群島を視察してまわった。その中島が8歳の長男桓(たけし)と1歳の次男格(のぼる)に宛てた書簡81点を、全点写真入りで収録した本である。

南洋の風景や果物などを写した絵葉書に書かれた手紙が多いのだが、表面、裏面ともに写真で紹介し、さらに自筆部分はすべて活字にもしているという念の入れようだ。実物をそのまま見ている気分を味わうことができる。
東京(とうきよう)は もう
秋(あき)だね。かき や
くり が たべられて
いいね。南洋には
秋も 春(はる)もなくて
年中(ぢう) バナナと
パパイヤばかり。
早く桓と格
のところにかへりたいな。
(1941年9月30日)

こんな葉書を、多い日には一日に何通も書いている。
遠く離れた子どもに対する思いが伝わってきて、じーんとなる。
中島が帰国して一年も経たずに亡くなったことを知っているだけに、一層そうした思いを強く感じるのかもしれない。

もちろん、時代の影響は南洋にも及んでいる。
桓!
日本の海軍は強いねえ。
海軍の飛行機(ひかうき)は
すごい ねえ。
おとうちやんは 今 パラオに
かへる と中(ちう)です。
   テニアンで、
(1941年12月11日)

太平洋戦争開戦のニュースを受けて書かれた葉書である。
この葉書の書かれた「テニアン」から、後に多くの飛行機が日本の本土空襲のために飛び立ち、原爆を積んだB29も飛び立ったことを思うと、何とも複雑な気持ちになる。

2002年11月10日、集英社、3000円。

posted by 松村正直 at 00:45| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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