後半から10首。
ここはかつて水路を渡る小橋なりきクランク状の路地をぬけたり
箸づかひうつくしからぬむすめなりうつくしき手に見とれるにあらず
西瓜ふたつ提げて合宿に行きたるは卒業ののちの夏一度のみ
阿武隈
地図帖に山脈、山地、高地とも名をかへていまだたひらかにあらず
自重せよと言ひて言ふのみにありたるは見殺しにせしことと変はらず
迷ひつつ書きけむ文のおのづから長くはじめと違ふこと書く
ひやくねんは水を入れたることのなき青磁の壺を乾布でぬぐふ
冬の旅はむしろ着がへの少なくて小さな書類かばんで足りる
菜の花の黄ははつかなりあざやかな緑にかかるからし味噌ひと匙
ふたわかれしてゆく水の一方は砂礫のなかに消えてゆきたり
1首目の「水路」は今では埋め立てられたか、暗渠となっているのだろう。道の形から過去の風景が甦ってくる。過去と現在の時間が重なり合う面白さ。
2首目は娘を詠んだ歌。娘、息子、妻といった家族が、この歌集でも良い味を出している。距離の取り方や描き方に工夫があるのだろう。
5首目は思索詠。「のみ」という限定や「変はらず」という打消しが多いのも、真中さんの歌の特徴である。今回引いた中にも、2首目に「うつうくしからぬ」「あらず」、3首目に「のみ」、4首目に「あらず」といった言葉が使われている。
8首目は、佳品とでも呼びたい一首。難しい言葉は何もないが、「むしろ」「足りる」といった語の選びがよく、31文字で「できあがり!」という感じ。
10首目は自然詠なのだが、こういう歌が象徴的、比喩的なニュアンスを帯びるところに、短歌の面白さがあるのだと思う。
そろそろ本格的な真中朋久論が書かれるべきだろうと思っています。人任せではいけませんが。