2013年12月13日

『そらち炭鉱遺産散歩』のつづき

本書を読んで興味を持ったのが、北海道の炭鉱と樺太との関わりである。石炭は樺太でも主要産業の一つであり、両者には深い関係があった。例えば
三菱芦別炭鉱は1914年、(…)芦別初の炭鉱として開鉱した。33年に樺太の塔路(シャフチョルスク)などでの炭鉱開発に力を注ぐため一時休止された。戦後、樺太からの引き揚げ者の受け皿として再開され(…)

といった記述がある。また、三井芦別ヤマの会会長の飯田盛雄さんのインタビューには
一九二五(大正十四年)に樺太で生まれ、十六歳で現地の王子製紙系の炭鉱に入りました。四五年の三月に召集され、五カ月後の終戦で南樺太に抑留されました。翌年十二月に引き揚げ、四七年六月、三井芦別鉱に入ったんです。

という話が出てくる。

戦後、樺太から引き揚げてきた人は約40万人。北海道に移り住んだ人もかなりの数にのぼったことだろう。

posted by 松村正直 at 20:45| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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