三菱芦別炭鉱は1914年、(…)芦別初の炭鉱として開鉱した。33年に樺太の塔路(シャフチョルスク)などでの炭鉱開発に力を注ぐため一時休止された。戦後、樺太からの引き揚げ者の受け皿として再開され(…)
といった記述がある。また、三井芦別ヤマの会会長の飯田盛雄さんのインタビューには
一九二五(大正十四年)に樺太で生まれ、十六歳で現地の王子製紙系の炭鉱に入りました。四五年の三月に召集され、五カ月後の終戦で南樺太に抑留されました。翌年十二月に引き揚げ、四七年六月、三井芦別鉱に入ったんです。
という話が出てくる。
戦後、樺太から引き揚げてきた人は約40万人。北海道に移り住んだ人もかなりの数にのぼったことだろう。