阿部さんは福島市にある映画館「フォーラム福島」の支配人で、私が1997年から99年にかけてそこで働いていた時に一番お世話になった方である。
原発事故に伴う許容年間被曝線量を1ミリシーベルトにするのか20ミリシーベルトにするのかといった問題に対して、どのように考えたら良いのか、どう考えるべきなのか、意見を述べている。
私は福島市にとどまり、妻と小6の娘は京都に自主避難中です。災害救助法に基づいて公営住宅に無償で入居できるのは、いまのところ4年。そのあと福島に戻すべきかどうかは決められずにいます。
ただ実際には、抜き差しならぬ「棄民感」とでも言うべきものをずっと感じています。福島は大事にされていないな、たかだか200万人ということなのか――。この感覚はなかなか「外」の人に伝わりません。
こうした文章に強い印象を受けながら読んだ。
阿部さんと一緒に仕事をしていた頃のことを思い出しながら、今、自分に何ができるのか考えている。
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歌集『駅へ』昔拝読しました。
松村さんの昔の旅など綴ったエッセイなど読んでみたいです。
各地を渡り歩き、地元の方々とも親しみ、器用で羨ましい。
私は1人旅などヘタクソでできないので(1人迷うだ
け)、楽しみ方などもエッセイ等で教えてほしいと思います。
では、ご健筆祈ります。
22歳から30歳にかけて、岡山、金沢、函館、福島、大分と渡り歩いたのは確かですが、あまり「地元の方々とも親しみ」という感じではないですね。どちらかと言うと一人でいるのが好きな方です。
以前、『現代短歌最前線 新響十人』というアンソロジーに自選200首とともに「岡山時代のこと」というエッセイを書いたことがあります。旅の話というよりは、岡山での一人暮らしの話ですけれども。