このニュースを聞いて思い出したのが、鹿児島県の新島(燃島)のこと。桜島がかつては島であり、噴火で陸地とつながったことはよく知られているが、その桜島の近くに新島という小さな島がある。ここは1780年に、桜島の噴火に伴って出来た島である。最盛期には約250名が住み、小学校の分校もあった。
1959年、当時50歳の佐藤佐太郎がこの島を訪れている。
年々に地(つち)せばまりてゆく島にひとつの井戸によりて人住む 『群丘』
一島が二十九世帯の子等あそぶ分校の庭午後の日暑く
島にある分教場の楝(あふち)の木(き)花おぼろにてしきりに落つる
その後、佐太郎が歌に詠んだ分校は1972年に閉校。
現在、この島の人口は住民基本台帳によれば4人。実質的には無人島になっている。