阿蘇の外輪山の水を集めて有明海に注ぐ緑川。その支流、御船(みふね)川の流域に七滝村という小さな村がある(現熊本県上益城郡御船町)
アッと思う。七滝村と言えば河野裕子さんの生まれた村ではないか。
文章は次のように続く。
この村は江戸時代、水の乏しい土地であった。人々は土地を開きたいのだが水がない。そこで村人たちは山へ登っていって木を植えた。村人総出で毎年数万本ずつ植え、そのようにして半世紀にわたり植えつづけた。すると涸れ川に水はとうとうと流れるようになり、年々水勢は増加した。
植林した面積は四〇〇ヘクタール。その結果開かれた水田は数百ヘクタール。いまもその水は水田にも、生活用水にも使われている――。
河野さんは2歳か3歳で大牟田市に転居するまで、この七滝村に住んでいた。
五十年の歳月の向かうに煤けたる本家の梁見ゆ従姉妹たち見ゆ 『母系』
中村と井無田(ゆみた)のあひだの泥田圃(ずつたんぼ)記憶のままにあをく広がる
ふるさとは墓が古びてゆく所縁(へつり)に赤い椿が咲きて
50年ぶりに墓参りに訪れた時の歌である。
「五十年ぶりに帰って、本家のところから、田んぼの向こうのほうをぼぅーと見ていると鮮やかに、これは記憶のなかにあるなあと思いましたね」(『牧水賞の歌人たち 河野裕子』)と自ら語っている。