朝靄の市場の広いまたたきのアンデルセンは靴屋の息子
春先の光に膝が影を持つ触って握る君の手のひら
秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは
噴水は涸れているのに冬晴れのそこだけ濡れている小銭たち
冬にいる寂しさと冬そのものの寂しさを分けていく細い滝
いくつかの拙い措辞が僕たちの短い春を台無しにした
透明な涙が胸に湧き出して目から零れるまで藤が咲く
僕もあなたもそこにはいない海沿いの町にやわらかな雪が降る
ほほえんだあなたの中でたくさんの少女が二段ベッドに眠る
許されて記憶の赤い花が咲く冬それぞれの稲荷神社に
第1歌集。1ページ1首組で195首が収められている。
一首目はまず韻律に惹かれる。上句は「AAOAO」「IIAOIOI」「AAAIO」と、「A」「O」「I」だけが使われている。そして4句目で「AnEUEnA」と「E」と撥音が初めて現れ、結句「UUAOUUO」で「U」が連続して現れるという流れ。
二首目は「触って握る」がいい。いきなり握るのではない。最初に軽く「触って」、相手も嫌がっていないことを確認してから「握る」。恋の初めの感じがよく表れている。
四首目は、結句の「たち」がいい。「小銭」という無機物に「たち」が付くことで、まるで小さな生きもののような愛おしさが生まれる。「小鳥たち」みたいに。
固有名詞のない世界、というのが全体を読み終わった時の第一印象。実際には「アンデルセン」「王子駅」「横須賀線」などいくつかあるのだが、固有名詞に代表される現実との強い結び付きといったものからは、だいぶ距離がある。
春夏秋冬などの季節や時間、天気を表す言葉がとても多い。「春」25首、「夏」14首、「秋」8首、「冬」23首。他にも、例えば「光」「ひかり」は27首もある。どれも、変りゆくもの、移りゆくものばかりだ。
虹のような歌集とでも言えばいいのか。虹というのは「七色」や「弧を描くこと」や「雨上がりに現れること」が本質ではなくて、たぶん「消えること」が本質だろう。この歌集からも、そんな印象を受ける。
2013年9月23日、港の人、2200円。