2013年11月13日

精神病院の歌

「歌壇」11月号の特集は「斎藤茂吉『赤光』刊行百年をめぐって」。
小池光、品田悦一、花山多佳子が「『赤光』とは何だったのか」と題して鼎談を行っている。その中で、次のようなやり取りに注目した。
小池 『赤光』は大正元年、二年の歌で六、七割くらいを占めている歌集で、突然、この辺で歌があふれるように出てきたという感じがするが、どうしてなんですか。
品田 (…)やはり精神病医になったことが大きいんじゃないかな。そこからしか、今のところ、説明ができないんです。(…)
小池 年譜を見ると、大正元年に勤務医になっているんです。その動機はすごく関係しているのかもしれない。

『赤光』には、例えば「狂人守」(大正元年)という一連など、勤務先の巣鴨病院での見聞を詠んだ作品がたくさんある。
うけもちの狂人(きやうじん)も幾たりか死にゆきて折(をり)をりあはれを感ずるかな
くれなゐの百日紅は咲きぬれど此(この)きやうじんはもの云はずけり
このゆふべ脳病院の二階より墓地(ぼち)見れば花も見えにけるかな

この時期、他の歌人の歌集にも精神病院を詠んだ歌が出てくる。
 前田夕暮「九月狂病院を訪ひて 歌二十五首」(大正2年) 『生くる日に』所収
狂人(きちがひ)のにほひからだにしみにけり狂病院(きやうびやうゐん)の廊下は暗し
きちがひの眠れる部屋にあかあかと狐のかみそり一面に生えよ
「此の男は直(ぢ)きに死ぬる」とまのあたり医員がいへりうごかぬ瞳よ
 古泉千樫「瘋癲院」(大正2年) 『屋上の土』所収
狂女ひとり風呂に入り居り黄色(わうしよく)の浴衣(よくい)まとひて静けきものを
ものぐるひの若きをみなご湯につかり静かに飯(いひ)を強ひられにけり
夕あかりうすら匂(にほ)へる病室にならびねて居る狂人の顔

前田夕暮の年譜には、大正2年の9月に斎藤茂吉の案内で巣鴨病院を見学したことが記されている。おそらく古泉千樫の歌も同様だろう。現在の目で見ると、用語も含めて差別的な印象を免れないが、特にそういう意識はなかったのだと思う。

人間の心や精神の働きに対する関心が、こうした歌の背景にはあるのだろう。歌を作ることは、自分の心を覗き込むことでもあるから、歌人がそうした部分に関心を持つのはよくわかる。さらに、精神医療は当時もっとも新しい分野であったので、歌人たちの強い興味を引いたのにちがいない。

posted by 松村正直 at 18:04| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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