新巻鮭(あらまき)のかたちにサハリンぶらさがり天気図はけふ北東の風
前川佐重郎 『孟宗庵の記』
サハリン(樺太)の形を鮭に喩えるのは、日本では古くから定番であったようだ。
昭和17年に出た下村海南の随筆集『二直角』にも
鮭に似た樺太の島は真二つに切られてあるも北緯五十度
という歌が載っている。これは当時、北緯五十度を国境として、北側はソ連領、南側が日本領であったことを詠んだものである。
日本人がサハリンの形を「鮭」に喩えるのに対して、ロシア人は「チョウザメ」に喩えるらしい。チェーホフの『サハリン島』の中に、こんな記述がある。
サハリンを蝶鮫にたとへることは、南部の場合は殊にふさわしく、全く魚の尾鰭にそつくりである。尾の左端はクリリオン岬、右は―アニーワ(亜庭)岬と呼ばれ、その間の半円形をなした入江を―アニーワ湾といふ。
「鮭」と「チョウザメ」。
そこには日本人とロシア人が普段なじんでいる魚の違いが表れているのだろう。