「私の記したメモは全く個人的なもので、歌の鑑賞などではないが、宮柊二の歌を愛する人たちの何かのお役に立てば幸いである」とあとがきにある。
どの歌にも初出を明記しているのが資料的に貴重なところ。
また、別の時期の、あるいは別の歌人の似た素材の歌なども引いていて参考になる。例えば「孤独なる姿惜しみて吊し経(へ)し塩鮭も今日ひきおろすかな」という一首に対しては、佐藤佐太郎の「つるし置く塩鱒(しほます)ありて暑きひる黄のしづくまれに滴(したた)るあはれ」が引かれるといった具合だ。
法隆寺南大門前暑き日を黒き牛のゐて繋がれにけり
稲青き水田見ゆとふささやきが潮(うしほ)となりて後尾(こうび)へ伝ふ
流れつつ藁(わら)も芥(あくた)も永遠に向ふがごとく水(みづ)の面(も)にあり
草むらをひとり去るとき人型に凹(くぼ)める草の起ち返る音
湯口(ゆぐち)より溢れ出でつつ秋の灯に太束(ふとたば)の湯のかがやきておつ
錐(きり)・鋏(はさみ)光れるものは筆差(ふでさし)に静かなるかな雪つもる夜を
海(うな)じほに注(さ)してながるる川水(かはみづ)のしづけさに似て年あらたまる
匍匐するごとく浅瀬に群がりて鯉の背鰭(せびれ)の雨中(うちゆう)に動く
白藤は数限りなき花房を安房清澄(きよずみ)の山に垂りたり
峡(かひ)沿(ぞ)ひの日之影といふ町の名を旅人われは忘れがたくす
2013年3月20日、柊書房、2000円。