2013年09月21日

さらに『水の文化史』のつづき

『水の文化史』は1980年に出版された本なので、今では通用しなくなってしまった部分と、今なお十分に通用する部分とがある。

例えば、青森県の十三湊の繁栄を記した部分に、『東日流(つがる)外三郡誌』からの引用がある。この本は戦後に発見された古文書として、七〇年代から八〇年代にかけて大きな話題を呼んだものであるが、現在では偽書であることが判明している。現在なら、この引用箇所は削除するところだろう。

一方で、次のような部分は、東日本大震災やその後の津波対策を考える上で、大事な指摘になるだろう。
洪水は川が処理すべきものであり、堤防という技術が川を抑え込まねばならないものとされた。水害のたび、堤防をより高く、より強固にすることが要求された。
堤防が頑丈であればあるほど、川は安全だと私たちは考える。が、それも壊れない間だけの話である。堤防が頑丈であればあるほど、ひとたび破れた場合には、こんどは堤防そのものが、逆に凶器となって私たちに襲いかかることになる。

被災地で進められている巨大防潮堤の建設計画などを思い合わせると、30年前の指摘は今なお有効であると感じる。

posted by 松村正直 at 01:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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