荒川改修は明治四四年から二〇年を費やして行われるが、その直接のきっかけは明治四〇年、四三年の大水害であった。この改修では、すでに両岸に家屋が密集していた隅田川を守るために、新たに放水路が開削された。これが現在の荒川本川である。
この二回の水害は、伊藤左千夫の『左千夫歌集』にも詠まれている。左千夫の自宅と牛舎は水に浸かり、大きな被害を受けたのであった。
一つりのらんぷのあかりおぼらかに水を照らして家の静けさ
「水籠十首」(明治四十年)
闇ながら夜はふけにつつ水の上にたすけ呼ぶこゑ牛叫ぶこゑ
「水害の疲れ」(明治四十三年)
また、後に土屋文明は「城東区」の一連の中で、水害に苦しんだ師の左千夫のことを思いつつ、新たにできた荒川放水路のことを歌に詠んでいる。
靄を渡り来る遠きうなりの親しさよ荒川口の夕の潮さゐ
松のある江戸川区より暮れゆきて白々広し放水路口
『山谷集』(昭和十年)
こんなところにも、短歌と時代との深い関わりを見ることができる。