2013年08月11日

『初代 竹内洋岳に聞く』のつづき

塩野米松は、宮大工の西岡常一をはじめ伝統文化や技術を伝える職人からの聞き書きで知られているが、あとがきによればその方法は下記のようなものである。
私の聞き書きのやり方は、一見登山とは関わりがないことまで根掘り葉掘り聞くことになること、できあがった原稿は全て話し手に見せて訂正や修正、場合によっては同意の上削除も可能であることを話した。

本書がすぐれた内容となっているのは、この「聞き書き」という方法による部分が大きいのだろう。竹内本人が忘れてしまっていたり、意識していなかったり、あまり言いたくなかったりするようなことまで、文章になって現れるのである。

それは、先に読んだ竹内洋岳著『登山の哲学』と比べるとよくわかる。分量が全く違うので単純な比較はできないのだが、大学の山岳部OB会との軋轢や日本山岳会に対する批判、両親の熟年離婚といった内容は、『登山の哲学』には書かれていない。

取材のはじめに「やはり、死んでしまうことは、あると思うんですよね」と述べた竹内であるが、最後に次のように言っているのが印象に残った。
でも、死んでもいいとか、死ぬ覚悟でやっているんじゃなくて、死は非常に身近にあるが故に、死をよく見るが故に、それを避けているし、避けることが可能だと思っています。死が身近にあることと、死んでもいいと思って、死に寄っていったり、その中に入っていくのとは違います。

題名『初代 竹内洋岳に聞く』の「初代」とは、もちろん歌舞伎のように世襲するという意味ではない。後にも先にもこの人限り、唯一無二の存在であるという意味なのだろう。

posted by 松村正直 at 00:33| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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