2013年08月09日

歌会について

歌会は、短歌の「読み」を学ぶのに絶好の場である。一首について、多くの人がそれぞれの「読み」を出し合って、対等に議論する。議論を通じて少しずつ、その歌の意味や魅力が明らかになっていく。自分では気づかなかった「読み」や、思わぬ角度からの「読み」も出されて、歌が立体的に立ちあがる。それは、ライブならではの刺激的な瞬間だ。

けれども、歌会は決して万能ではない。歌会は言葉によって短歌を批評し合う場であるから、言語化できない部分については話をすることができない。それは当たり前のことではあるのだが、意外と忘れがちなことかもしれない。

例えば100の魅力を持っている短歌があったとして、そのうち90までを言葉で解明できたとしよう。歌会の場では、それでわかった気になってしまう。けれども、本当に大切なのは残りの10の方なのだ。

歌会をやっていると、得てして言葉で説明できる90の方に歌の本質があるような気になるのだが、実はそうではない。歌の本質は、言葉で説明できない10の方にある。けれども、その10は最初から見えているわけではない。言葉で説明できる部分を説明していくことによって、初めて浮き彫りにされるのである。

歌の魅力を言葉で説明しようとして、もし説明し尽くすことができるなら、それは大した歌ではないだろう。何とか説明しようと言葉を尽くして、けれども説明し尽くせないところに、歌の一番の魅力はある。その差を知るために、歌会はあるのだ。

そういう意味では、歌会という場は最初から矛盾を抱えている。そのことを、まず初めに認識しておく必要があるのだろう。

posted by 松村正直 at 00:58| Comment(2) | 短歌入門 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
歌会について
○歌会は読みだけの学習ではない。歌すべてになすべき
 である。表現、詩の構築、新しさ、調べ、質など。
○詩の説明できない魅力もあるが平明明快なものにもす
 ぐれたものがある。
○その人の個性の光りを学べよ。
○その歌を凡才が8いて支持し天才が2いて支持するな
 らばわたしは後者をとる。
○すぐれた歌会はすぐれた歌人がいなければできない。
○いかに創造するかの力ができればよい。すなわち、創造の悦びを知り拡げる場である。
○いろんな人の歌の良さ、悪さを学べる。
○ひとりの人の指導、意見に従属してはならない。
○悪歌が良歌を駆逐するようになってはだめである。
○人気のある歌と秀歌は別である。
○結社主義の歌を中心にすべきではない。他結社と合同でよく歌会をすべきである。
Posted by 小川良秀 at 2013年08月09日 07:50
小川様

ご意見ありがとうございます。
Posted by 松村正直 at 2013年08月09日 08:34
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