この年―昭和八年の夏から、私ども一家は苦楽園に新しく建った家に住むことになった。この家が、私にとって忘れることのできない、思い出の家となったのである。
高安国世は、昭和八年の八月末に苦楽園ホテルを出て、新築になった芦屋の家に移ったので、湯川とほとんど入れ違いであった。高安と同様、湯川も恵ヶ池のあたりをよく散策したようである。
日曜日などには、私は苦楽園のあたりを散歩した。妻は赤ん坊の世話に忙しく、家に引きこもりがちであった。家の前には桜の並木がつづいていた。家から西南の方へ降りてゆくと赤松の林の中に池がある。赤いれんが建ての古風な洋館が見える。苦楽園ホテルである。
当時、湯川秀樹26歳、高安国世20歳。
2人がこの恵ヶ池のほとりですれ違うさまなどを想像してみるのも楽しい。