細流を伝つて下ると、芦屋行のバス道に出、更に下ると恵ケ池といふのに出る。濁つた水であるが、この周囲を廻るのは僕にもたのしみになつてゐる。対岸に出て山の方を振返ると、ホテルのバルコンに翻る三角旗を見当にして、山の緑の間に見境ひもつかず蔦で蔽はれてゐる僕の居間の窓も見付けられるのである。
飯を食つてぶらりと恵ヶ池の畔に出てみた。明るい、心を撫でるやうな雨が昼間降つてゐたが、それが止んで一ときの静寂(しじま)を保つてゐる夕方である。いつも先づ心を惹かれるのが、池の西側の窪地である。色といつては、落着いた緑単色の濃淡に過ぎない。(…)が、とにかく、静かな爽かな、実にまとまつた落着いた感じが湧いてくるのである。
高安が住んでいた時から既に80年が経ったが、恵ヶ池は今も残っている。当時に比べて大きさは半分くらいになっているようだ。埋め立てたと思われる場所には、「苦楽園市民館」が建っている。