苦楽園は六甲山麓に位置する関西屈指の高級住宅地である。JR芦屋駅からバスに乗って坂道を登ること15分くらい。高台には広い敷地の屋敷が点在している。
『高安国世の手紙』にも書いた通り、高安はこの苦楽園と関わりが深い。旧制甲南高校時代の親友・下村正夫(下村海南の息子)が苦楽園に住んでいたため、しばしば遊びに来ていたのである。また、芦屋の家が火事で焼けた後、しばらく苦楽園ホテルに住んでいたこともある。
いつのころからか、母が私に西宮市の山手、苦楽園にある下村家をたずねるように計らってくれた。というのは、歌人であった母は、やはり歌人であった下村海南氏を知っていたからだ。そこには一人息子の正夫君がいて、やはり甲南に通い、私と同級であったのだ。 (高安国世「めぐりあい」)
それからは私はほとんど毎日のように彼の家へ遊びに行った。当時朝日新聞の副社長だった海南氏の帰りはおそく、やさしいおばあさんやおかあさんのすすめで、いとも気楽に夕食をご馳走になり、そのまま夜まで話し込んだり、泊まってしまうことも多かった。 (同上)
その名も「苦楽園」というバス停で降りて、まず探すのは、その下村家の跡である。