2013年07月22日

秦豊吉

『高安国世の手紙』のあとがきにも書いたように、私は学生時代からドイツ文学者としての高安国世は知っていたが、歌人としての高安は知らなかった。そういうことは、しばしばあるのだろう。

今朝の読売新聞「編集手帳」に、こんな一節があった。
古川ロッパが帝国劇場でミュージカルに出演したときである。連日満員の盛況だというのに、帝劇社長・秦豊吉(はたとよきち)の顔は日に日に険しくなっていく。

この秦豊吉って、あの秦豊吉?と思った。
『西部戦線異状なし』などのドイツ文学の翻訳で知られる秦豊吉である。

調べてみると、確かにそうだった。実業家や興業家、文筆家、翻訳家と、さまざまな顔を持っていたらしい。マルキ・ド・サドをもじった「丸木砂土」というペンネームで小説や随筆を書いていたことも初めて知った。

高安さんの文章にも秦豊吉の名前は出てくる。高安がドイツでハウプトマンゆかりの婦人に会った時のことである。
婦人はさらにハタさんが前に訪ねて来られたといい、しばらく考えてそれが秦豊吉氏であることがわかった。彼は最近死んだというと婦人は大そう残念がるようすであった。(…)私たちがサインを求められた記念帳には、秦豊吉氏のペン書きの日本文も認められた。   『北極飛行』

高安がドイツに留学したのは1957年、秦豊吉が亡くなったのは1956年であった。

posted by 松村正直 at 17:07| Comment(0) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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