今年また雨水のひかり〈東京にゐた頃〉といふ痛み遥けし
出国をすれば切り絵のごとき身を免税店のひかりはつつむ
夕立とわたしの中の夕立が図書館の玻璃をはさみて鳴れり
あんずの実わづかな傷を手にのせて一年ぶりの誕生日来ぬ
オニヤンマ採つて間近に見せてやるこんなことしか子にしてやれず
指さして紋白蝶を教へても「おもしろ蝶」と子は言ふをやめず
夏、従姉妹らは燦然とやつて来てお菓子食べ散らかして帰りぬ
怒りぶつけて電話してゐる事務室に朱肉湿りて置かれゐるかも
冷蔵庫につめ切りをふかく隠しおく息子の遊びひと冬を越す
薔薇園へ地図を頼りに来たりしが入口でまた地図をもらひぬ
庭先をよぎる猫あり夕されば模様をかへてまたあらはれむ
夕立が地面をたたく水しぶき肉屋のまへで見ることになる
燃えながら流されてゆく屋根が見ゆたしかな愛の記憶のやうに
秋分の日の助手席に娘ゐて小石のやうにしやべり続ける
体温計つららのごとく光るゆゑ脇に挟めば熱の子しづか
1971年生まれの作者とは同世代ということもあって、共感するところの多い歌集だった。時代や生活を詠んだ歌は決して明るくないが、確かな手ごたえを感じる。また、小さな息子や娘を詠んだ歌はどれも良く、この歌集の大きな特徴となっている。
第三章は「つなみ 被災地のこども80人の作文集」(「文藝春秋」平成23年8月臨時増刊号)に掲載された作文を元に詠まれた短歌86首が収められている。かなり実験的な試みで、最初はやや懐疑的な思いを抱きつつ読んだのだが、じんと伝わってくるものがあった。
長野に住む作者は、子どもの作文を媒介として、震災にアプローチしたということなのだろう。そこには、作者も同じ年頃の子どもを持っているという意識が強く働いていたのだと思う。
2013年6月15日、本阿弥書店、2500円。