2013年06月27日

『増補版 誤植読本』のつづき

本書に登場する多くの人が、誤植はなくならない、誤植のない本はない、といったことを書いている。それだけ誤植を完全になくすのは難しいことなのだ。

「塔」でも毎月かなりの数の誤植訂正を載せている。これは連絡をいただいた方の分だけなので、黙っている人の分を含めればさらに何倍にもなるにちがいない。

誤植について書いてある本書にも、やはり誤植(と思われるもの)はある。堀江敏幸の書いた解説の中に
(…)私の場合、暦としたプロの読み手によるインタビューでも、(…)

という部分があるが、この「暦」は「歴」の間違いだろう。誤植の話の中に誤植があるのだから、何だかおもしろい。誤植は人間が文字と関わり続ける限り、なくなることはないのだろう。そう考えると、むしろ楽しいことのような気もしてくる。

最後に、こんなユニークな校正風景も。
そこで僕は、一策を案じた。家には子供が五人もいる。人的資源は、いわば無尽蔵である。この資源を使わないで放っておくという手はない。少々の荒使いと無駄使いをしても、相手は、学者の家庭とはこういうものだと思ってあきらめるにちがいない。そこで、一人にゲラ刷を読ませ、もう一人に僕の原稿をにらんでおらせることにして、下校正をやらせてみた。僕があとでさあっとゲラ刷の方を点検すればいいという段取りである。        野々村一雄「校正と索引つくり」

もちろん、奥さんも手伝わされている。一家揃って何だか楽しそうだ。もっとも、この方法は結局うまく行かなかったのであるが…。

posted by 松村正直 at 07:03| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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