小池光に「茂吉における嫌なもの」(『小池光歌集』所収)という鋭い評論があるが、大辻の評論も同じような鋭さで、「日本的なものへの嫌悪」「民衆への憎悪」「黒人蔑視」「性的未熟」「西洋的なものへの盲信」といった近藤芳美の問題点を抉り出している。
ところどころ、ちょっと言い過ぎではないかと感じる部分もあるのだが、大筋において、大辻の指摘には同意できる部分が多い。私も少し前に『早春歌』と『未明』を読み、そこに大辻の言うような特徴を感じたのであった。
自(おのづか)らはなれ土掘る鮮人人夫と苦力(クリ―)の人種意識もあはれ
『早春歌』
土深くあかりを持ちて吾はをり苦力(クリ―)の居たるにほひ漂ふ
外人ら体臭立ちて集(つど)ふ中洋装貧しく吾を待てり妻は
人間に英知の初めエーゲ海染めて広がる朝かげの如 『未明』
憧憬にギリシアはありて戦争の青春を分く今に彼らなく
1、2首目からは朝鮮人や中国人苦力に対する差別意識(もちろん当時の時代的な制約は考慮する必要があるが)が感じられる。しかも、それを「にほひ」と詠んでいるところが気になる。
3首目は「内金剛ホテル」という一連にある歌。「外人」はおそらく西洋人のことだろう。その立派な体格や服の着こなしに比べて、自分の妻を「洋装貧しく」と詠んでいるのだ。
4、5首目はギリシア旅行を詠んだ歌。ギリシアは文明発祥の地として、若き日から近藤の「憧憬」の地であったと言うのだろう。こうした西洋賛美と、西洋に対するコンプレックスは、今の目から見ると痛ましさを覚えるほどである。