芥川は「文芸的な、あまりに文芸的な」の中で、この川柳について触れている。
「川柳」は日本の諷刺詩である。しかし「川柳」の軽視せられるのは何も諷刺詩である為ではない。寧ろ「川柳」と云ふ名前の余りに江戸趣味を帯びてゐる為に何か文芸と云ふよりも他のものに見られる為である。(…)
安どもらひの蓮のあけぼの
かう云ふ川柳の発句に近いことは誰でも認めずにゐられないであらう。(蓮は勿論造花の蓮である。)
この「安ともらひの蓮のあけぼの」というのは、一体どういう意味だろう。あれこれ調べてみたのだが、よくわからない。どうやら、当時(江戸時代)、上流の家の葬式は夜に行うのに対して、下流の安い葬式は早朝に行っていたらしい。その葬式の時に蓮が咲いている場面を詠んでいるようだ。
けれども、芥川はこれを安物の「造花の蓮」と断定していて、そうなると実際の蓮が咲いているわけではないことになる。……どうなんだろう?
当然夏以外のお弔いもあるので金持ちも貧乏人も蓮の花は造花だと思います。夜のお弔いではせいぜい高提灯か、かがり火程度のあかるさなので安物造花も(もしかすると金持ちの造花は金色かもしれなくて)夜の方がきれい、貧乏人の日中の明るい中での造花はただただわびしいよ、と言うことかなと思って読みました。それを春のあけぼの というのは残酷にも辛辣。