昭和の子なれどもわれは練乳を苺にかけたる記憶のあらず
またの名を練乳といふを知らざりきコンデンスミルクにパン浸しつつ
大正十五年秋 道ばたに棄てられてありし煉乳(ねりちち)の鑵(くわん)のあきがら
かつて苺はそのまま食べるのではなく、練乳をかけたり、牛乳(+砂糖)をかけたりして食べることが多かった。1首目はそれを踏まえた歌。
2首目の「コンデンスミルク」は「牛乳に砂糖を加え、煮つめて濃縮したもの」(広辞苑)。砂糖を加えていないものはエバミルクと言うらしい。練乳は「牛乳を煮つめて濃縮し、保存性をもたせたもの」(広辞苑)であるから、細かく言えば、練乳のなかにコンデンスミルク(加糖練乳)とエバミルク(無糖練乳)があるわけだ。
3首目の「煉乳(ねりちち)」は「れんにゅう」とも読むが、これが「練乳」の本来の表記である。戦後、「煉」が常用漢字に入らなかったため、同じ音の「練」で代用するようになり、新たに「練乳」という表記が生まれたのである。
「牛乳を煮つめて」なので、本当は「火」偏の付いた「煉」でないとおかしいわけだ。こういう例は、「稀薄」→「希薄」、「訣別」→「決別」、「熔接」→「溶接」などたくさんある。
この歌に「大正十五年秋」とあるのは、斎藤茂吉の次の一首を踏まえている。
煉乳(ねりちち)の鑵(くわん)のあきがら棄ててある道おそろしと君ぞいひつる
歌集『ともしび』の大正十五年の歌だ。
では、この歌に出てくる「君」とは、誰のことだろうか。