藤原龍一郎氏が砂子屋書房の連載コラムに「短歌結社の存在価値」という文章を書いている。「水甕」創刊100年の記念式典や「うた新聞」5月号の特集を受けた内容で、現在「短歌人」の編集人を務めている藤原氏にとって、結社をめぐる問題はやはり大切なものなのだろう。
このコラムの中に、篠弘氏が「うた新聞」に書いた「有力歌人が同調者を募って独立し、あらたな会員を結集することが必要なのではなかろうか」という提言が引かれている。これは藤原氏が言うように、確かに「過激」ではあるが「有効」かつ「必然的」な方法であると私も思う。
歌壇全体を眺めてみれば、独立して新たな結社を率いてもおかしくないだけの実力と人気を兼ね備えた歌人はたくさんいる。けれども、独立しようという動きは現在ほとんど見られない。それは、なぜか。答えは簡単である。独立してもほとんどメリットがないからだ。
会員を募り、詠草を集め、選歌をして、毎月結社誌を発行する労力や手間というのは、実は大変なものがある。それを一から始めようとするには、相当な覚悟と熱意が要求されるのだ。短歌結社を日本舞踊や生け花の家元のように思っている人も多いが、一番の大きな違いは主宰にお金が入るわけではないということだろう。
時間はかかる、手間はかかる、その上お金は入らない。となれば、それらを上回るだけの文学的な情熱や野心がなければ、新たに結社を立ち上げようなどと、誰も思わないわけである。現状ではどう考えても割に合わない。もともといる結社に所属し続ける方が、はるかに楽だし、居心地がいいのだ。
でも、よく考えてみれば、戦後、近藤芳美が「未来」を創刊したのは38歳の時、宮柊二が「コスモス」を創刊したのも40歳、高安国世が「塔」を創刊したのも40歳の時である。今では考えられないくらい若い時期に、彼らは新たな結社を立ち上げて、歌壇の活性化に貢献したのであった。それを支えたのは、ある種の使命感のようなものではなかったか。
そういうことが、今後もはたして起こり得るのか。あるいは、それは「結社」とは違う何か別の形で行われていくことになるのか。あるいは、既に行われつつあるのか。そんなことを考えさせられる内容であった。
2013年05月24日
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