折花
をりとれば枝の花こそすくなけれさきかさなりて見えしまがひに
鴨
おもしろく波にうかべるあし鴨はおのれ舟なるこゝちとぞみる
虹
はれのこるたゞ一むらのくもにのみわづかにのこる夏の夕にじ
まめ
わりて見るたびにおもしろしいついつも並べるさまの同じさや豆
烏
おのが身にまがふばかりもなれる子を猶はぐゝめるおや烏哉
時雨
いくさともふりぬらしきてさ計やのこりすくなきしぐれなるらん
1首目、満開の桜の枝を一本折り取ったところ、その枝にはあまり花が付いていなかったのでがっかりしたという歌。
2首目、水面に楽しそうに浮かんでいる鴨は、きっと舟のような気分なのだろう。
3首目、雨上がりの空にひとかたまりの雲があって、そこにだけ虹が残っている光景。
4首目、莢を割ってみると、いつも同じように豆が並んでいて面白い。
5首目、自分と同じくらい大きくなった雛鳥を育てているカラスの親。
6首目、いくつもの里を濡らしてきて、時雨も残り少なくなっているだろうと、まるで如雨露で水を撒いているように詠んでいる。
どの歌にも、現代に通じる発想の面白さや新鮮さがあって、ここから近代短歌まではもうすぐという感じ。
この歌集が明治に入って再評価されるのには、奇跡的な偶然があったらしい。文庫本の解題(正宗敦夫)に次のようにある。
佐佐木信綱博士が明治三十一年の夏の夜、神田の古本屋で見附けて其の斬新なる歌風に驚歎せられ、同三十二年一月発行の続日本歌学全書第八編近世名家家集下巻中に編入せられて出版せられ、(…)世に拾ひあげられてから著名になつたのである。
歌集出版(1863年)から35年後、大隈言道が亡くなって(1868年)から30年後の出来事である。信綱が「神田の古書店で見附けて」いなかったら、今も歴史に埋もれたままだったのかもしれない。