2013年04月22日

「短歌往来」5月号

連載「樺太を訪れた歌人たち」は5回目。前回に続いて「松村英一と国境線」の2回目を書きました。松村英一についてはとりあえずこれで終りで、次回はまた別の歌人を取り上げます。

今回、樺太に建てられる予定だった松村英一の歌碑の話に触れて、「こうして歌碑の場所は無事に決まった。しかし、はたしてこの歌碑は実際に建てられたのかどうか。時代はこの時期、大きな曲り角に差し掛かっていた」と書きました。

実はその後、この歌碑についての新たな資料が見つかり、歌碑が実際に建てられたことが明らかになりました。連載というのは、こういうところが難しくもあり、また面白くもあります。今さら調べようもないと思っていたことが、ひょんなことからわかってしまったのです。

歌碑が建てられたのは昭和14年。今から70年以上も前の話ですし、戦後はずっとロシア(ソ連)領になっているので、今も歌碑が建っているのか壊されてしまったのかはわかりません。ただ、街中の碑と違って山頂近くに建てられたものなので、壊されずに残っている可能性もあるように思います。

そんなことを考えていると、居ても立ってもいられない気持ちになります。誰に見られることもなく草に埋もれている歌碑の姿が目に浮かんできて、サハリンに行って、その歌碑を見つけ出したい、歌碑が私を呼んでいる(←これは妄想)という思いが、だんだん募ってくるのです。

ああ、でもサハリンは遠いなあ・・・

posted by 松村正直 at 08:18| Comment(0) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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