乳にひたり逃げむとするを匙の背につぶして啖らひき昭和の苺よ
島田修三『帰去来の声』
先日読んだ歌集にこんな歌があって懐かしくなった。そう言えば、子供の頃は苺と言えば砂糖をかけて牛乳をかけて、スプーンで潰してイチゴミルクにして食べていたものだ。練乳をかける人もあっただろう。今ではそういう食べ方はあまり見かけなくなった。
それは私が大人になったからだけではなく、苺自体が甘く大きく、そのまま食べるのに向いているものに変ってきたからなのだろう。昔の苺はもっと小さくて、甘いだけでなく酸っぱかったように思う。
乳(ちち)の中になかば沈みしくれなゐの苺を見つつ食はむとぞする
斎藤茂吉『寒雲』(昭和15年)
とりかへしつかぬ時間を負ふ一人(ひとり)ミルクのなかの苺をつぶす
佐藤佐太郎『形影』(昭和45年)
茂吉の歌でも佐太郎の歌でも、苺に牛乳をかけて食べている。こうした歌にも、やはり昭和という時代が刻印されているわけである。