材料の再利用、再々利用の材料活用の体系を、京の都では「始末(しまつ)」といった。始末とは、始めから末=おしまいまで、と書かれている。「始末のよい嫁」とお姑さんに言われれば最高の褒め言葉だった。衣生活における布の「始」は晴れ着、「末(おしまい)」は雑巾だった。
道具をテーマにした話ではあるのだが、道具の話にとどまらず、人々の生活のあり方や、水の使い方、環境問題についても自在に筆が進んでいく。そこから浮かび上がってくるのは、今ではちょっと懐かしい大正から昭和にかけての暮らしの姿である。
同じ動作を延々と続けるうち、気持ちが澄んでくると、禅の境地とはこれか、と思うことがある。そこでこれを座禅に対して行動禅と呼んでいる。行動禅には歩行禅や磨墨禅(するすみぜん)がありうるが、包丁研ぎ禅もありそうだ。
こんな文章を読むと、河野裕子さんの歌を思い出す。
包丁を研ぐのが好きで指に眼が付くまで研いで七本を研ぐ 河野裕子『紅』
いつしんに包丁を研いでゐるときに睡魔のやうな変なもの来る
2006年8月18日、岩波新書、740円。