前立腺肥大をぼやく同僚の終はらぬ所用や待つとなく居(を)り
にぎり飯の海苔薫れるを啖らふなり春の光のしぶきに濡れつつ
はららごをまづは喰ひつつ下総の鰈にこころほぐされむとす
つきかげに隈なく刷かるるビルの壁あふげば光は澄むものならず
姉ありて弟ありて縁うすく湯豆腐つつく連れあひと来て
春このかたマスクはづさぬ女学生の最前列にてよろしも姿勢
煙草より悶えながらに昇りゆくけぶり見守るこころといはむ
大伴家に書持(ふみもち)といふ花好きの蒲柳(ほりう)ありしが兄(え)に先立ちぬ
同僚の慈父悲母といふ遠きひとの訃を聞く日々や寒ぬるみゆく
乳にひたり逃げむとするを匙の背につぶして啖らひき昭和の苺よ
平成20年から24年までの作品485首を収めた第7歌集。
還暦を迎えた作者の日々の思いや人生的な感慨が中心となっている。
年齢的なこともあってか、回想や懐旧の歌が増えたように思う。また、歴史的な知識に基づく歌や人名などの固有名詞を使った歌が数多く出てくる。
全体に疲労感や哀愁の濃く滲んだ内容であるが、その中にあって、飲食に関わる歌の多さが目立っている。食欲というのは、やはり人間の根本にあるエネルギーなのかもしれない。
2013年3月21日、砂子屋書房、3000円。