遺棄死体数百(すうひやく)といひ数千(すうせん)といふいのちをふたつもちしものなし 土岐善麿『六月』
が選ばれている。
この歌については、以前このブログでも取り上げたことがある。(→昨年11月23日の記事)
今回、巻末の座談会を読んで気になったのが、岡井さんの次の発言だ。
岡井 しかし「遺棄死体」なんてよくぞ言ったもんだなあ。戦前戦中の短歌ではまず見られない言葉でしょう。
三枝さんの 『昭和短歌の精神史』 にもある通り、 「遺棄死体」 は日中戦争当時、新聞報道などで頻繁に使われていた言葉である。 『昭和万葉集』 を見ても、項目として挙げられていて
遺棄死体 戦場などにとり残された死体。戦死者は戦闘終了後に収容されるのが原則である。しかし敗戦時には、遺体を収容することができずに退却することになる。上海・南京戦では、中国軍の遺棄死体は三〇万といわれた。
という説明があり、次のような作品が掲載されている。
埋められし敵遺棄死体片足は土に現はれごむ靴穿(は)けり
堀江堅「橄欖」(昭和15年1月号)
遺棄(ゐき)死体鉄条網(てつでうまう)を境とし向う側に多し越えたるはあらず
谷口友「短歌中原」(昭和18年2月号)
これを見ても、 「遺棄死体」 という言葉が当時から広く使われていたことは明らかだろう。
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