例えば、『歌がたみ』の中で今野は、唱歌「夏は来ぬ」(佐佐木信綱作詞)の歌詞を分析して、次のように書いている。
卯の花も歌合の代表的な題で、ほととぎすとの組み合わせとなれば『万葉集』までさかのぼることができる。卯の花の垣根と、ほととぎすと、忍び音とは、どうやら和歌において尊んで詠むべき歌語の中でも、とりわけ親和力の強いものどうしだったらしい、と思えてくる。
この部分などは、先日読んだ安田寛著『「唱歌」という奇跡 十二の物語』の 「つまり唱歌集は近代日本の半ば隠された勅撰和歌集であったと言っていい」 という指摘につながっていると言っていいだろう。
また、「恋歌排撃」を唱えていた与謝野鉄幹が「明星」誌上では「恋愛至上」を掲げるに至る経緯について、今野は
鉄幹の和歌革新は、和歌における「恋」の伝統を、近代思潮としての「恋愛」にシフトすることで、イデオロギー的にも盤石になったのだと思う。
と明快に論じている。この部分は、柳父章著『翻訳語成立事情』の 「loveと「日本通俗」の「恋」とは違う。そこで、そのloveに相当する新しいことばを造り出す必要があった。それが「恋愛」ということばだったわけである」 という指摘を思い起こさせる。
こんなふうに、一冊の本を読むと、それが次から次へとつながっていく。そして、頭の中で立体的な理解が進むような、そんな気がするのである。