ちょっと面白いことがあった。
小池光さんが「短歌の作法」として
まず、短歌は五七五七七という言葉の鋳型をもっている。これを絶対のものと思って、一音のはみだしも不足もなく、きっちり守ることが大事だ。
と書いている。定型厳守の姿勢をはっきりと打ち出していることに少し驚く。
ところが、次のページに行くと穂村弘さんの文章が載っていて、そこに小池さんの歌が引かれている。
銀杏が傘にぽとぽと降つてきて夜道なり夜道なりどこまでも夜道
小池 光
四句目の「夜道なり夜道なり」が大幅な字余り、だが、ここを「夜道なりけり」などの定型に敢えてしないことによって、「どこまでも夜道」が続く感覚が「現に」表現されている。
この二つの文章を続けて読んだ人は、きっと迷ってしまうだろう。それを思うと何だか可笑しい。
これは矛盾でも何でもなくて、短歌というのは実際にこういうものなのだ。初心者かベテランかという話ではない。言ってることとやってることが違うというのは、短歌を作る上ではけっこう大事なことなのだと思う。