2013年03月24日

角川「短歌」2013年4月号

特集は「31文字の扉―短歌の神髄と魅力に迫る」。
ちょっと面白いことがあった。

小池光さんが「短歌の作法」として
まず、短歌は五七五七七という言葉の鋳型をもっている。これを絶対のものと思って、一音のはみだしも不足もなく、きっちり守ることが大事だ。

と書いている。定型厳守の姿勢をはっきりと打ち出していることに少し驚く。
ところが、次のページに行くと穂村弘さんの文章が載っていて、そこに小池さんの歌が引かれている。
  銀杏が傘にぽとぽと降つてきて夜道なり夜道なりどこまでも夜道
                小池 光

 四句目の「夜道なり夜道なり」が大幅な字余り、だが、ここを「夜道なりけり」などの定型に敢えてしないことによって、「どこまでも夜道」が続く感覚が「現に」表現されている。

この二つの文章を続けて読んだ人は、きっと迷ってしまうだろう。それを思うと何だか可笑しい。

これは矛盾でも何でもなくて、短歌というのは実際にこういうものなのだ。初心者かベテランかという話ではない。言ってることとやってることが違うというのは、短歌を作る上ではけっこう大事なことなのだと思う。


posted by 松村正直 at 11:34| Comment(0) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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