露西亜帆船の船長の塚を建てし長崎娘おみつといふはいづこへ行きし
土岐善麿『六月』
今まで何のことかよくわからない歌だったのだが、これはこの悲恋塚を詠んだ一首だったのだ。おみつという名前の女性が、愛するロシア人船長ネイの死を悼んで建てたということなのだろう。善麿は真岡を訪れた際に、この塚を見学したのかもしれない。
そう思って調べてみると、確かにその通りであった。善麿の随筆集『斜面の悒鬱』に、こんな一文がある。
北海道へ、ひとあし先きに行かれる汐見博士が、真岡線の汽車で出発されたのを送つたあと、朝から、しんみりとした訪問者を三人ほど迎へて一緒にその辺を散歩し、露深い雑草を踏んで、観測所の構内近くにある露船長と長崎娘との「悲恋塚」の前に立つたり、紫のやや萎れた菖蒲の花を眺めたりした。
ロシア人船長ネイと長崎娘おみつ、2人の間には一体どんなドラマがあったのだろう。