石川啄木も鉄道に縁の深い歌人である。啄木自身は「便利だから乗るには乗るが一体が汽車は嫌ひだ」(明治三十九年三月五日)と日記に記すものの、その人生は鉄道によって始まり、人生の変化の時はまた鉄道によって変化を知らしめられた一生だったと言えるかもしれない。 (「歌壇」3月号)
続く4月号では、啄木や牧水といった故郷との関わりを論じられることの多い歌人が、実は僧侶や医師など、農村に深く根付くことのない「特権的な〈異分子〉」の家系に育ったことを指摘しており、こちらも非常に面白い。
石川啄木も鉄道に縁の深い歌人である。啄木自身は「便利だから乗るには乗るが一体が汽車は嫌ひだ」(明治三十九年三月五日)と日記に記すものの、その人生は鉄道によって始まり、人生の変化の時はまた鉄道によって変化を知らしめられた一生だったと言えるかもしれない。 (「歌壇」3月号)